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とと姉ちゃんのモデルとなった人物や脚本担当は誰?

      2017/11/02

ついに始まる新しいNHK連続テレビ小説『とと姉ちゃん』!



前作『あさが来た』が稀にみるヒット作となり、未だに名残り惜しいですね。

でも、新作『とと姉ちゃん』の方に移りましょう(笑)


主演は『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』の高畑充希さんです。

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ここでは、『とと姉ちゃん』のあらすじではなく、『とと姉ちゃん』の主人公・小橋常子のモデルである大橋鎭子とはどういう人だったのか、についてまとめました。


また、『とと姉ちゃん』の脚本家についてもプロフィールをご紹介いたします。





 

小橋常子のモデルの大橋鎭子とは

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『とと姉ちゃん』の主人公・小橋常子のモデルである大橋鎭子は、日本製麻勤務の父親の娘として生まれました。

生まれは東京の麹町でしたが、父親の転勤の関係ですぐに、北海道に移住しています。



ところが、それも束の間、父親が肺結核に罹ってしまい、東京へ帰り、まだ小学生の時にその父親が亡くなってしまうのです。


亡くなるまでは、父親の看病に家族ともども追われるという日々が続きました。



伊東、鎌倉、大森と、全国を行ったり来たり。


幼少時からすでに波乱の生涯って感じですね。


その後、東京府立第六高等女学校を卒業し、日本興業銀行に入ります。


せっかくいい働き口を見つけたものの、3年で辞めてしまい、日本女子大学に入学をしますが、父親同様に肺結核になってしまい、中退し
てしまいます。



しばらく療養してから、日本読書新聞に入社し、以後、編集作業に携わり続けます。


激動の戦争を乗り越えた大橋鎭子は、おなじ日本読書新聞で働いていた花森安治と知り合いますが、これが彼女の運命を変えることになるのです。

これがなければ、のちの『とと姉ちゃん』もなかったのです。



1946年、大橋鎭子は、花森安治らと衣装研究所を設立し、『スタイルブック』を創刊します。


さらに、『美しい暮しの手帖』の創刊にも参加。


衣装研究所はその後、暮しの手帖社と社名変更しました。


大橋鎭子は1969年から長期間にわたり、エッセイ「すてきなあなたに」の連載をはじめます。


1978年には花森安治の死去により、編集長に就任します。


こうした永年の功績によって、大橋鎭子は1994年、東京都文化賞を受賞するに至りました。


2004年、義理の姪の横山泰子に社長を譲って、自身は社主に退きます。

そして、2013年、東京都で亡くなりました。

93歳という長寿でした。


NHK連続テレビ小説といえば、比較的古い人を主人公のモデルにするイメージがありますね。


しかし、『とと姉ちゃん』のモデルはかなり最近まで存命の人でした。


『とと姉ちゃん』の小橋常子のモデルは、このように、まさに徒手空拳で文化界で成功した一方、大変な苦労人でもあったようですね。

 

『とと姉ちゃん』の脚本家のプロフィール

そんな『とと姉ちゃん』ですが、主人公のモデルだけではなく、脚本家も異色の経歴で注目されているようです!

なんと脚本家は、元芸人だというのです!

『とと姉ちゃん』の脚本家は、西田征史さんという人です。

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高校卒業後に芸人をめざし、ホリプロのオーデションを受けて見事に合格。


「ピテカンバブー」というお笑いコンビを結成しつつ、俳優業も開始します。


その後芸人はやめ、舞台の脚本などを担当しはじめます。



西田征史さんが脚本家として本格的に注目され出すのは、映画『ガチ☆ボーイ』の脚本を担当したころからになります。


それからは、『魔王』、『怪物くん』、『妖怪人間ベム』といった連ドラであいついで脚本をてがけていきます。


西田征史さんはさらに、2012年には、小説『小野寺の弟・小野寺の姉』を刊行しますが、同作はみずから舞台化し、西田征史さんが脚本
と監督を務めるかたちで映画化!

 

そして、ついにNHK連続テレビ小説『とと姉ちゃん』の脚本担当となったのでした。


本当に大橋鎭子とおなじで努力の人といった感じですね。





 

まとめ

『とと姉ちゃん』は、主人公のモデルも脚本家も両方、すごい人だったのですね。

努力もですが幸運もかなりすごいといえるでしょう。


『とと姉ちゃん』の視聴率が、前作の『あさが来た』レベルに上昇すればいいですね。

 

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