「100日後に死ぬワニ」とは
「SUPERどうぶつーズ」なども描いた、1986年生まれの現代漫画家、イラストレーター きくちゆうき先生によるマンガのタイトルです。
ボリューム的には4コママンガ風でフルカラーの作品になっていますが、これがソーシャルメディアなどの各メディアで異常なほどバズっていて、書籍化、映画化になり、一般の新聞メディアでニュースとしても取り上げられています。
マンガのイラストレーションはサンリオのキャラクターグッズ全般みたいな一般受けするタイプで、見やすいタッチで描かれています。
色取りとしましての配色は、12色色えんぴつ程度のバリエーションでくっきりとしたアウトラインです。
とりわけ強烈に惚れるタイプの絵柄ではないのかもしれませんが、誰もが不快にならない、万人に受けるタイプのイラストレーションとタッチです。
ストーリー
物語の流れとしましては、100日後に死んでしまうワニの生活を描いている単純明快なストーリーです。
この作品が尋常じゃないレベルでバズッているのを発見した時は、自分には理解できない酔狂な世界だろう、おそらく自分にはわからないものだ、などと思っていました。
ソーシャルメディアでは特に有名でない人のポストなどもいきなり取り上げられたりしますから、自身での判断が必要です。
しかし「100日後に死ぬワニ」は、数ページだけ自分自身で読んでみた瞬間に突如として感じました。
これは理解不能な訳のわからない伝染病みたいな扇動やアジテーションとは違う、非常に非常に切ない、そしてやさしい物語なのだと理解できました。
この世に生を受けたものは全ていつかは消えてしまう運命なんです。
その事実をわかっている人もいますし、そんなことは他人事のように感じてしまう人々もいるでしょう。
けれども死は早かれ遅かれ、誰にでも平等に訪れるものなんです。
そんなはかない人生の中で、何を感じ、何を思い、毎日生きていくのでしょうか。
人の毎日の出来事なんて日常茶飯事のものなのに、他人がどう生きているのか、自分がどう生きているのかなんて、自分自身、そしてこの記事を読んで下さっている読者自身も考えたり、考えなかったりです。
100日という時間制限について
この「100日後に死ぬワニ」の主人公のワニは100日という何とも寂しくも区切りの良すぎる時間数で生を得ました。
この作品の連載は100日を始めとして、毎日毎日少しずつ人生の期間を消化していき、99日、98日…と日数を経て死へと向かっていく姿が描き出されています。
まるで日めくりカレンダーのように、1話が簡潔に完結して、また次の話へと流れていきます。
誰でも嫌でも何がなんでも理解できてしまうこの明快さ、1話1話の物語は、
時にはあまりにもどうでも良い内容であったり、時には考えさせられたり、時には何だか切なかったり…。
主人公の擬人化された存在のワニは、仕事を持ち、離れた家族がいて、時には小さなことを成し遂げては満足し、誰かを遠回しに遊びに誘ってみるも不敗に終わったり、受動的に何かに感動しては影響されたり…、特に何かに野望を持っているわけでもなく、我慢するべき時には我慢もできない程度の精神力で、いざという時の押しも弱く、飾らない、飾ることも知らない、どこにでもいる目立たない地味な生物です。
こんな普通のキャラクターがここまで指示を得るということ。
世の中はこんな「100日後に死ぬワニ」くんのような気持ちで生きている人々が本当に本当にたくさんいて、わかりすぎるほど自然と共感を得てしまったということがわかってしまいます。
命の大切さ、地味に生きることの偉大さ、それを押し付けるわけでもなく、ほろ苦く、おもしろおかしく描ききったこの作品の内容はやはり、どことなく寂しい、悲しい、でもとんでもなく辛いとか超感動とか、そこまで強い衝撃はなく、いつまでも命あるものの日常と共に、人々の心の中に何気なく住み着いてしまうといった感じです。
しまりのない日常
あまり意味のない、読んでいても何とも思わない、ふーんといった内容の不完全な物体の欠片やある情報のフラグメントのような無意味感、無味乾燥感のあるエピソードも多数あります。
それは人生に意味はあるのかというメタファーでのあるのです。
生きることは偉大だが、生きていて、毎日何かを達成するかと言えばそんなことはありません。
どうでもいいことが連続して人の一生は続いて行くことが大半です。
そんな中で小さな感動や幸せを得たり、ちょっとがっかりしてみたり、そんな程度なんですね。
この作品のワニくんは時にもしかしたら普通の人間より大人しい性格かもしれません。
ちょっと怒ることはあってもそれを他人に示さない、大きく自分の意見を言わない。
でも時には誰かが励ましてくれて、「先は長いぞ!」と言ってくれます。
でもそんなセリフが少し痛く刺さります。
人生は長いと人は言うけれど、思ったよりも短いということ、この「100日後に死ぬワニ」という作品の時間制限がとても辛く読む側に当たってきますね。
その短さに、非常にスポットの辺りにくい人生を描く、主人公と周囲のいきものたち。
生きるということは妥協することなのだろうかと少し疑問を抱かないわけではありません。
でも人生における時間という制限があるかのように、一人の人間ができることにも制限がある場合もたくさんあるということ。
でもちょっとした思い切りを見せた時に少しだけ叶うということもこの作品は教えてくれましたね。
うつうつとした人生の時間がある中で、何らかのアクションを起こすことで、少しだけ良い方向に向かっていくという縮図。
こどもの絵本のように考えさせられますし、そんなこともあるのだと、例え忘れたいたとしても思いださせてくれます。
最終回
ここからはネタバレになるかもしれませんが、最終話の100日目。
仲間と花見に行こうということで花見の会場に向かっているであろうワニくんなのですが…
中々会場に姿を見せないのです。
それでネズミくんがバイクに乗って迎えに行くのですが…その途中で素晴らしくきれいな桜の花に見とれて携帯で写真を撮り、おそらくワニくんに送っています。
そして返信がきていますが…最後の1コマに登場しているワニくんは何やら道に横たわっているのでしょうか。
100で死ぬというタイトルの通り、ワニくんの人生は何らかの形で終了したと思われるのですが、何がどうなって、どういった理由で終わってしまったのかははっきりとは描かれていないように思いました。
まるでそっと消えるように、もしくはまだどこかで生活が続いているかのような、ふんわりとしたはっきりとはしない形です。
もしかしてまだ終わっていないのではないか、とも感じてしまうくらい、今まで1話1話が簡潔であっただけに、見事なまでの不明さ、不可解さでした。
それこそ、人は、生き物は、ある日突然消えてしまうようにこの世からいなくなる儚い存在なのであるということがいっぱいになって示されているのではないかと思います。
今隣りに住んでいる大嫌いな人も、お気に入りのあの人も、誰もかれもがある日突然いなくなって、まるで夢の中のキャラクターだったように思える日が、そしていつか自分自身がそうなってしまうのかも知れないということが、客観的に見られてしまって、クッションに守られた衝撃のない衝撃といった、うまく言葉では表しがたい最終回でした。
ネズミくんが送ってくれたサクラの写真に返答したのがやっぱりワニくんだったら、その写真を見ただけでも感動したようでした。
でも実物の、本物のサクラは実際に見ることができたのでしょうか?もうあと数十分でも長く生きていられたとしたら写真ではなく、本物を無事に見ることが出来たのではないでしょうか。
でも写真のサクラでもとても嬉しそうにワクワクした気持ちでワニくんは返答をしており、本物のサクラはすぐそこにあったけど、それより小さなスケールで小さな感動をワニくんは得ていました。そしてよく見てみますと、ヒヨコがワニくんの倒れていた横にいました。
誰かを助けたために起こった最後だったということなんでしょうか。
人生の終りなんて、いつ来るのかもわからない…ということは何度もどこかで聞いたことがあるけれども、それを実感として教えるのはとてつもなく難しいことだと思います。
しかも人生には終わり方というものがあります。
ワニ君の地味な人生は最後の最後で、誰かを助けた。
これはものすごく誇らし気で、勇敢で、最後の最後で思い切りを見せた人生であったのではないかと感じます。
しかしワニくんはヒヨコを助けると自分は助けられないということは、わかっていたのでしょうか。
わかっていてか、知らずしてかは定かではありませんが、真の優しさが誰かの人生を引き伸ばし、ワニくん自身の人生を終了させるに至ったとも取れる部分は自分には納得ができませんでした。
でもそういった二律背反も人生にはつきものだということ、それこそリアルに描かれていたと思います。
一読者としましては、もう少し夢のあるエンディングであってほしかったと希望もありましたが、夢のような美しいサクラと嘘のように消えてしまった一個の人生こそ夢のようなものだったのではないでしょうか。
制限だらけだと思う人生も、大いに自身の選択肢も実はあったということ…自分の判断が時には何か大きなものに影響をするということ…どうしてでしょうか、すっきりしない気持ちがいつまでもこの物語を自分の心に留まらせてます。
すごく人間らしいワニくんでしたが、でもこんな何気ないとしか思えないような人生も実は誰かにとっては別世界の出来事なのではとさえ思わせてくれます。
それは何故か…当たり前だったものが当たり前じゃなくなる時が一瞬で来ることがあるということを知らされたからです。
あの大きく咲いていたサクラの花も、期間限定ではなく、ずっと咲いているものであっにてほしかったと思うばかりです。
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