紅白総合司会抜擢の内村光良の凄み!を紹介
大人気バラエティー番組『世界の果てまでイッテQ!』のMCなど、いくつものレギュラー番組を抱えるお笑い芸人の内村光良さん。
第68回NHK紅白歌合戦の総合司会に抜擢されたことでも話題を呼びました。
内村さんの芸歴は長く、多彩な活躍を見せています。
内村さんの持つさまざまな魅力や出演した作品などについて、ご紹介します。
Contents
内村光良プロフィール
名前 内村光良(うちむらてるよし)
コンビ名 ウッチャンナンチャン 相方 南原清隆
生年月日 1964年7月22日
血液型 AB型
出身地 熊本県人吉町
所属事務所 マセキ芸能社
成績優秀、運動神経抜群の優等生
内村さん、小学生のころから運動神経が抜群で、勉強もできてモテモテだったそうです。
中学生では、生徒会長となり、野球部では副キャプテンまで務めたといいますから当時から目立っていたんですね。
野球だけでなく、水泳や剣道、ラグビーなど幅広くなんでも器用にこなし、さらには水彩画のコンクールに入賞したりと、絵に描いたような優等生だったんです。
当時からモテモテだったにもかかわらず、大好きな映画に熱中していたようで、恋愛にはあまり興味がなかったということですが、実際には彼女とかはいたかもしれませんね。
そして、高校を卒業後には、映画監督になるという夢を持って上京することになります。
横浜放送映画専門学院に入学することで、その後の人生が大きく変わっていくことになるのです。
バラエティー番組でお茶の間の人気者に
内村さんは元々、映画監督志望。
のちにコンビを組むことになる南原清隆さんや、今なお第一線の芸人として活躍し、親交も深い出川哲朗さんと出会ったのも、現在の日本映画大学である横浜放送映画専門学院の演劇科でのことでした。
その専門学校では、漫才の授業なんてあったんですね。
その授業でコンビを組んだ南原さんとお笑いコンビ『ウッチャンナンチャン』を結成したのが始まりです。
『お笑いスター誕生‼』などに出演して電車を擬人化した対決コントなど、さまざまなネタで人気を博しました。
伝説の番組『夢で逢えたら』
テレビ番組では、深夜番組『夢で逢えたら』で注目を集めることになります。
この伝説の番組は、1988年ウッチャンナンチャンと、あのダウンタウンや清水ミチコ、野沢直子とコントを中心に日本中を笑いの渦に巻き込みました。
正直な話、この頃はあのダウンタウンでさえ駆け出しのころであり、ウッチャンナンチャンも若手コンビとして抜擢されたと言ってもいい状況でした。
この『夢で逢えたら』で人気に火が付きだしました。
その後、『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』や『ウンナン世界征服宣言』などを経て、1996年4月から『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』の中心レギュラーとして活躍。
番組自体も高視聴率を連発し、90年代のバラエティー番組の代表的な存在のひとつということができます。
また、1996年7月からは『ウンナンの気分は上々。~FEEL SO NICE.』もスタート。
ロケ+スタジオトークという構成の番組で、途中、番組のタイトル変更はありましたが、7年間に渡って放送され、こちらも好評を博しました。
単独での活動がメインに
90年代はコンビとしての活動が多かった内村さんですが、2000年代に入ると単独での活動がメインとなっていきます。
2000年から2005年にかけて放送された深夜番組『内村プロデュース』ではMCを担当。
この『内村プロデュース』も伝説的番組で、内村さんのブレイクのきっかけとなった番組と言っていいかもしれません。
この番組は、若手芸人が数多く出演していたのですが、その芸人たちの良さを引き出すようないじりがなんとも可笑しくってついつい見てしまう魅力がありました。
この番組のおかげで、多くの芸人が人気者となるきっかけをつかんでいたようにも感じますね。
人気番組『世界の果てまでイッテQ!』で人気爆発!
そして、『内村プロデュース』終了の1ヵ月後に始まったのが、今や内村さんの代表作ともいえる存在となった『世界の果てまでイッテQ!』へとつながる『クイズ発見バラエティー イッテQ!』でした。
『世界の果てまで~』とは違い、日本各地を訪れるというコンセプトの番組でしたが、番組終了後に世界を舞台としたスペシャル版を放送したところ好評となり、2007年から『世界の果てまでイッテQ!』として放送が開始されています。
内村さんをテレビで見ない日はないのでは、と言うくらいの人気者となりました。
子供から大人、お年寄りまで、知らない人はいないでしょうという存在でありながら、様々なことに挑戦していますね。
その後もNHKのコント番組『LIFE!~人生に捧げるコント~』で中心的存在として活躍するなど、精力的な活動を続けています。
巧みなネーミングでブレイクを手助け
内村さんに関しては、お笑いコンビの改名に協力することにより、ブレイクのきっかけを作ったことも忘れられません。
今ではすっかり人気コンビとなったさまぁ~ずとくりぃむしちゅー。
実は昔はバカルディと海砂利水魚というコンビ名だったのですが、『ウンナンの気分は上々~』での対決の結果、それぞれ改名することになったのです。
両コンビはどちらもその後、ブレイク。
改名だけが理由とは言えませんが、内村さんが結果的にブレイクを手助けしたことは間違いないことでしょう。
そして、その人柄から、若手芸人からベテラン芸人まで、多くの方が内村さんを慕っているという話です。
バラエティー番組で体を張る
バラエティー番組での内村さんの特徴のひとつとして、意外と体を張る企画が多い、ということが挙げられます。
その最たる例が、『ウリナリ』の企画のひとつだった『ドーバー海峡横断部』でしょう。
これは、番組で結成した芸能人主体のチームで、ドーバー海峡をリレー形式で横断しようというものです。
思いの他、難易度が高かったため、約2年にも及ぶ企画となったのですが、最終的に内村さんはドーバー海峡のリレー横断を達成。
もちろん、内村さん自身も泳ぎ、全身の冷えや疲労と戦いながら目的を達成したその姿は、多くの人の感動を呼びました。
それは最近でも、『世界の果てまでイッテQ!』でも普通にロケで体を張ってますよね。
これは、やっぱり元々運動神経抜群ということが影響しているかもしれません。
何をやっても様になるのは、わかる気がします。
ドラマ・映画でも活躍
内村さんはバラエティーのみならず、ドラマや映画でも活躍しています。
ドラマでは、2002年にゴールデンタイムの連続ドラマとして放送された『ぼくが地球を救う』で、とあることから超能力に目覚めてしまった主人公を熱演。
同じく主演を務めた『恋人はスナイパー』は、スペシャルドラマ2本を経て、映画化もされました。
他にも、2015年にNHK BSプレミアムで放送された連続ドラマ『ボクの妻と結婚してください。』に主演するなど、出演多数。
2017年に日本公開されたアメリカの大ヒットアニメ映画『SING/シング』では、主役の声の吹き替えを担当しています。
また、昔からの夢である映画監督としても活動し、『ピーナッツ』『ボクたちの交換日記』『金メダル男』の3本で監督と脚本を担当、うち2本は主演も務めています。
紅白歌合戦で総合司会に抜擢
内村さんが、第68回紅白歌合戦の総合司会に抜擢されました。
実は、内村さんは1998年の第49回紅白歌合戦にポケットビスケッツの一員として、一度出場しています。
まさか、20年後に紅白の総合司会として戻ってくるとは、感慨深い思いがあったのではないでしょうか。
かなりのプレッシャーは、テレビ画面の中の表情でも見て取れましたね。
NHKのコント番組『LIFE!~人生に捧げるコント~』での生き生きとした表情と比べると、紅白関連の番組では緊張感が伝わってきました。
欅坂46とのダンスパフォーマンスは圧巻!
2017年の大みそか、紅白歌合戦は例年になく盛り上がっていたように感じました。
さすが内村さんと言うか、まったく緊張感を見せずに堂々と総合司会を務められました。
本番に強いな~、って印象ですね。
そして、圧巻だったのが、欅坂46とのコラボ『不協和音』での演出とダンスパフォーマンスも内村さんあってです。
でも、「最初は手が震えてた」と言ってようで、ものすごい緊張感があったそうですが、徐々に慣れてきて楽しむことができたと発言していたようです。
それにしても、内村さん大活躍の紅白でしたね。
内村光良まとめ
何をやらせてもそつなくこなしてしまうところが内村さんの魅力ですね。
時には自ら体を張り、多彩な活躍を見せる内村光良さん。
ここでは触れられませんでしたが、バラエティー番組がらみでヒット曲も出しています。
紅白の総合司会という大役を経て、どんな活躍を見せてくれるのか。
内村さんの今後にも注目です。